第9話治って ふりかえって

こんにちは。
かとちんです。

今日は、医者を見つけて
断薬をしようと思った話です。

といっても、大学院2年
はめちゃめちゃ忙しく
就職活動と卒論に追われていました。

ちっとも改善しませんでした。
むしろ、睡眠時間を確保するのが
やっとなレベルでした。

そんな時に
「東日本大震災」が起きたのです。

僕は、かなり離れていたところに
住んでいたのですが、震度3あり、
震源地が東北と聞いて驚きました。

その時の影響は微々たる
もので、車の購入が少し遅れた
位でした。

地震が起きた時に心配したのは
薬でした。薬が切れるのではないか
そんな不安が巡りました。

幸い、切れませんでしたが
その時の恐怖は今でも
思い出すと、すさまじかった
ものでした。

薬に依存しているときの
不安は強烈なものです。

「こんな状態で震災に合ったら
俺は死んでしまうかもしれない」

抗不安剤が切れる恐ろしさを
実感しました。
鬱は本当に恐ろしい病気です。

薬が切れると
と思うと悪寒がするのです。


そして、大学院を無事
卒業し、就職しても
回復しませんでした。
当然です。むしろ
不安で襲われまくりました。

僕は当初適応障害
と診断されていましたが
すでにそうではなかったのです。

むしろ鬱状態は悪化していたのです。
結局、大学の医者は、ヤブ医者でした。

この適当な診断が、適応障害から鬱
に変化したと新しい医者
に言われました。

医者を変えたことと勉強したことで
僕は少しずつ薬を減らしていきました。
当初、大学院卒業時には
・デパス
・ドグマチール
・睡眠薬

・SSRI
という状況でした。

これは、少ないほうだと思いますが
うつ軽症〜中くらいになっていました。


医者を変え、勉強をしまくり、運動して、僕は
断薬に一生懸命力を入れることにしました。

就職して1年目。
お金も全然ない状態でしたが
とにかく治療に一生懸命でした。

就職先ははっきり言って
クソでした。というのも
この年の就職状況は最悪で
僕の希望の就職先では
まったくなかったのです。

就職先のことなど露知らず
とにかく、治すことに全振りでした。

本当ならもっと良い就職先に
行けたと思います。だけど
それを諦め、治療にとにかく専念しました。

確かに仕事は本当に希望していない
ものだったし、寮で2人部屋だし
最悪でした。


課題は断薬でした。
薬が多すぎたのです。

その中でも
断薬してみるとわかるのですが
「デパス」が一番断薬しづらく
最終的に、1年位かかりました。

確かにSSRIも睡眠薬もきつかったですが
デパスはその比ではなかったです。

トリプトファンのサプリを手に入れたお陰で
睡眠薬とSSRIは、解決し、苦痛ではありませんでした。

ドグマチールは、漢方を使うことで
簡単に断薬できたので、結構楽でした。

そんな薬を抜くのに、1年かかり
半年はデパスのみでした。

1錠を6等分して、更に2分の1だけ噛む
そんな、ラムネを粉にしてなめるような感覚で
減らしていきました。

デパス依存で苦しんだ時
「薬を飲んで休めば治る」
とかそんなクソ医者の言葉を
聞いてしまったんだろう
とめちゃめちゃ後悔しました。

俺は騙されたんだと思いつつ
騙された俺も悪いと
キレたこともあります。

毎日毎日届くアマゾンの本を
読みながら、脳科学や心理療法の
本を読みました。

今考えると安いクソ本ばかり
買っていたと思いますが
それでも、学生時代よりは
だいぶマシでした。

薬で治る精神的な病はないと
知ってからはとにかく断薬に
必死でした。

クソ医者が「寝ていれば治る」
と言っていたが、結局治りませんでした。
今考えると、僕はいつ自殺してもおかしく
なかったのかもしれません。

それを考えると、診断は仕方なかったの
かもしれません。そんな5年の失敗を振り
返りつつ、デパスを少しづつ減らしました。

1年目のため、夜勤のときもありました。
フラフラのときも、1/8でも減らせるよう
に少しづつ減らしました。

舐めて吐いて捨てたこともあります。

少しでも飲むと30分後には
ものすごく落ち着きました。

飲まないと、落ち着かないとき
が何度もありましたが
その時は、16分の1でも
粉にして、指につけて舐めました。

そんな勢いでどんどん減らしていきました。

ドグマチールもSSRIも漢方もなくなってから
3ヶ月後、ついにデパスを克服しました。
他と比べると圧倒的に大幅に時間がかかりました。


デパスが抜けてから6か月後は
医者に通い
「もう大丈夫じゃないですか?」
と言われたときは、薬に頼らない生活
を普通に送ることが出来るように
なりました。

ついに
薬から解放されたのです。
非常に長い年月でした。

そこから半年は経過で通い
完治となりました。




_________________
そして、私が鬱や適応障害になって
8年たとうとしています。

その間に、バカ上司のパワハラで
適応障害にもなりました。

自分を追い込まない術を習得済みで
薬についてもしっかり勉強したため

薬の力を頼りに、5日間飲み、
2ヶ月間位職場を変えましたが
そのおかげで休職することなく
活躍することできました。

その間に変化がありました。
私が適応障害と診断された時には
あの悪魔のデパスはありませんでした。

というのも、この時、デパスの
依存性が認められていたのです。

改めて、デパスは恐ろしい薬だと実感しました。

何が恐ろしいか?依存性がすごいだけでなく
国や精神科医が「安全だ」とか全く信用できないこと
を何十年も平気で言っていたからです。

そして、つい最近まで依存性について
認めていなかったのです。だけど、海外
では全然使われていないのです。

そう考えると、日本の精神科医療は
絶対にはまってはいけない。
そう強く思いました。

地域や地方、医者で大幅な差が出る精神科
医療は標準が決まっていないという点では
ほぼ基準がない診療といっても
過言ではありません。

日本の医療は、予防前提で考えられていません。
歯医者に行けば、歯を削られます。
私も、新人のクソ歯医者のせいで
1つの歯を半分失いました。

これと同じなんだと思いました。

日本の精神科医療は間違いなく遅れています。
予防をするという概念がなく
一旦だめになったらずっと薬づけって考えです。


僕も5年間薬漬けでした。
で、医者は薬をよこすだけです。
カウンセラーは頷くだけでした。


別の医者に行ったら
「もっと薬をやらないとダメだ」
と平気で言います。

また、別の医者に行ったら
「カフェインを取りすぎ」
「太りすぎ」
と言ったりしました。

私は軽肥満ですが、肥満体では
ありません。

医者ごとに基準が違いすぎて
何が何だかさっぱり
わかりませんでした。

本当に辛かったです。

つい最近知ったのですが
日本では、診断の基準が決まってなく
アメリカ基準になっているそうです。

意味不明です。
どうして、同じ日本の医者なのに
診断基準が統一されていないのか?

どうして患者本位で
診断基準を決めないのか。


なので、絶対断薬をしてやると思い
デパスを1回2錠飲んでいたのを1錠に減らし
2/3とどんどん少なくしていき

思った以上に減っていかない悔しさを
かみしめていたのを
昨日のように覚えています。

そうして、断薬に成功したのち
再発防止に向け、より勉強し
動き出すことになりました。

その後、カウンセラーとの出会いで
今まで点と点で存在していた知識が
線になって、つながりはじめたのです。


次回:再発防止のためにしたこと

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