うつ体験談シリーズ 第7話:断薬を決意

僕は就職が確定していました。
今、考えると大学院1年生位
と比べると大幅に改善していました。

というのも、薬を飲んでいれば
ある程度正常な大学生活が出来たからです。
ただ、薬の量はなかなか減らせませんでした。

朝も起きれないときがありましたし
不規則な生活をしていました。
体重も激増で70キロいきそうでした。

大学2年:適応障害→うつ
大学3年:うつ⇔?で悪化
4年:悪化・自殺未遂
院1年:徐々に改善
院2年:就職活動等あったが平行線

東日本大震災が
もたらしたもの


僕は、かなり離れていたところに
住んでいたのですが、震度3あり、
震源地が東北と聞いて驚きました。

実際の影響は、微々たる
もので、車の購入が少し遅れた
位でした。

しかし、僕が最も心配した
のは薬でした。

「薬が切れるのではないか」

そんな不安が巡りました。

幸い、切れませんでしたが
その時の恐怖は今でも
思い出すと、すさまじかった
ものでした。

薬に依存しているときの
不安は強烈なものです。

「こんな精神状態で震災に合ったら
俺は死んでしまうかもしれない」

抗不安剤が切れる恐ろしさを
実感しました。
鬱は本当に恐ろしい病気です。

薬が切れると
と思うと悪寒がしたのです。

治療のためにした
超意外なこと。

就職しました。
環境が変わっても、回復しませんでした。
当然です。

むしろ、不安で襲われまくりました。
断薬は難しかったのです。

うつや適応障害よりかは、問題は
薬への依存状態でした。
大学の医者は、ヤブ医者だったのです。

過去の状況を日記などで取っていた
ので、僕は大学2年から大学院2年まで
の状態を新しい医者に説明しました。

当初適応障害だったのが
適応障害から鬱に変化。
大学4年に超悪化。
大学院1年から改善。
大学院2年になり、うつ状態からは
脱出しているが、薬物依存・・・

そう説明されました。
医者に依存する体質も問題でしたが
医者選びはそれと同等以上に重要です。


前の医者は、全部適応障害だったし。

うつ状態になった僕は
運動療法や瞑想を取り入れ
少しずつ薬を減らしていくことにしました。

大学院卒業時は
・デパス
・ドグマチール
・睡眠薬

・SSRI
という状況でした。
これでも減らしたほうだったのです。

ただ、車で通勤することもあり
睡眠薬、SSRI、デパスは減らしたい。

勉強をしまくり、運動して、僕は
断薬に一生懸命力を入れることにしました。

就職して1年目。
お金も全然ない状態でしたが
とにかく治療に一生懸命でした。

就職先ははっきり言って
クソでした。というのも
この年の就職状況は最悪で
僕の希望の就職先では
まったくなかったのです。

就職先のことなど露知らず
とにかく、治すことに全振りでした。

本当ならもっと良い就職先に
行けたと思います。だけど
それを諦め、治療にとにかく専念しました。

確かに仕事は本当に希望していない
ものだったし、しかも部門も
人事部が勝手に決めたものでした。

で、研修先は、寮で2人部屋だし
最悪でした。さらに言うと、震災の影響
でものすごく忙しく、休日出勤もザラでした。

なので、車の中で自分の感情を出しまくりました。
思いっきり泣いたり、悲しんだりしました。

積極的に外出し、部屋にこもらないようにしました。
まず、初任給でノートパソコンとwifiを買いました。


というのも、積極的に外出するためです。
パソコンは家でも出来ますが、それ抜きにしても
外でやれば、自然と外に行けるのです。

 

断薬で重要な
超意外なこと。


ただし、給料はものすごく低く

「俺、何のために大学院に言ったんだろう」

とものすごく後悔しました。

大学院まで言ったのに、工場に行って
こんな誰でも出来る仕事が出来なくて
全く関係ないことをやる。

正直言って、考えるだけでも憂鬱に
なりました。こんな地方都市に
いること自体後悔しました。

だけど、他人がなんと言おうと
会社がどんな不適切な人事をしようと
しても

坊主のように、ただ今を受け入れ
今を丁寧に生きることにこだわりました。

今まで人と比べすぎて生きてきたのです。

なので、人と比べることを諦め、ただ今を
生きることに専念しました。

今を生き、やるべきことをやり、自分の
適切なことをやるだけ。。

そんな毎日を
過ごすことに一生懸命専念しました。

辛いことがあったら、車の中で
泣いていました。

別に結婚とか、彼女とかそんなことは
どうでもよかったのです。

ただ今を受け入れていく・・・。

ベットから起き上がれないということも
ありましたが、会社を休むことはできない
ので、ひたすら薬を飲んで頼りました。

「人と比べるな・・」
「批判するな」
「自分の状況を比較するな」

そんな感じで抗不安剤の量
を注意しながら、ひたすら
自分のために生きること
に専念しました。

丁寧に生きること・自分を赦すこと
に一生懸命で、今までと全く違う生き方を
出来るように、丁寧に出来る範囲で治していきました。

断薬時の注意点

1.医者に相談しながら
行うこと

勝手に断薬するのは
治療を中止して悪化を招くだけです。
一人で中止する位なら、ドクターショッピング
していたほうがまだましです。

2.大きな決断を
しないこと

断薬の時はどうしても、調子が悪いです。
大きな決断を出来るだけ先延ばしにしてください。

本当にすぐ決めないといけないことがあった場合
1.誰かに相談し
2.薬を復活させて判断力を戻す
のどちらかを考えたほうがいいです。

大きな決断というのは、退職、転職、引っ越し
などです。僕は、車の購入すら親友に聞いていました。

「車の購入は営業マンとかに聞くのに
どうして大きな決断は人に相談しないんだろう?」

と思うようになりました。

 

3.僧侶みたいな生活をしつつ
欲を満たす柔軟性を持つこと

社会や人とのつながりを考えると
どうしても脳を刺激します。

そして、人は、睡眠欲、性欲、食欲
に支配されています。

人という生き物は、特徴があり
癖があります。それと同時に
うつ病の人間には、うつ病の特徴が
あるのです。

自分が幽体離脱している状態で
自分を見ていることを想像してみてください。

そして、自分の心理状態を深く観察し
同情し、理解してあげてください。

それをするだけでも
「これで悩んでいるのは自分だけではないんだ」
という感覚を得ることが出来、心理的に落ち着きます。

自分の心を観察する訓練を続けることで
「世界と自分が地面をつながっているかのような」感覚
を味わうことが出来、孤立感が大幅に解消されます。

4.酒を飲まないこと

当然です。酒は脳を委縮します。
うつで既に脳が委縮しているのに
悪化させます。

むしろアルコール依存症と最悪な
状態になってしまいます。

5.夢や幻想を追わないこと

うつ病の人間は、うつを完全に治すこと
にめちゃめちゃ固執します。

だけど、残念ながら、日本人という以上
他の人種と比べ、すでに「うつ症状」が
出ているのです。(後述のリンク参照)

「今まで考えてきてこと全て捨てて
アフリカの先住民族のように暮らして
日本人辞めれば、うつ病はなくなります。

でも、あなたはそれを知らずに
うつを完全に治したいとおっしゃる
意味不明ですよ」


僕が言いたいのは「うつ病を完全に治す」
ことよりも「1日平和に暮らす」といった
ハードルの低い生活をすることがまず大事
ということです。

鬱の人は自分に厳しすぎます。うつを治す
って簡単に言いますが、ハードル超高いです。

なので、まず、目標なんて立てなくていいし
夢や幻想を追わずに、着実に生きていく。
日本人は、既に鬱症状でかけの人種とわかって
いるので

「どうせみんな鬱じゃん。」

位ハードル下げるか

「周りと比べていたけど、周りがそもそも
鬱だから参考にならないわ」

と思ったほうがいいです。
思うのはタダですし。

5.は、うつ病とは何か?
対策は?家族はどうしたらよいか?
に詳細が書いてあります。
>>こちらから<<

 

6.刺激の強いものを見るな

うつ病の人間は、刺激に超敏感です。
震災の映像は、多くの人に衝撃を与え
とある歌手は、公演を中止してしまいました。

普通の人でさえそうだったのです。
この地震で鬱になった人は沢山います。
そんな映像は【みてはいけない】

もっと詳細な内容を知りたい方はこちらから

10話:デパスとSSRI 
断薬で難しかったのは・・


断薬してみるとわかるのですが
「デパス」が一番断薬しづらく
最終的に、1年位かかりました。

確かにSSRIも睡眠薬もきつかったですが
デパスはその比ではなかったです。

トリプトファンのサプリを手に入れたお陰で
SSRIは、解決し、苦痛ではありませんでした。

SSRIがすぐに抜けた時点で
うつ病ではないのです。
僕のうつは、うつ状態になっていたのです。
うつ状態になったときに薬で対応していたのです。

で、ドグマチールは、漢方を使うことで
少しずつ減らしていき、4ヶ月で断薬できたので
結構楽でした。
ここまで来るのにだいぶ大変でした。

自分の状態を正確に把握して、理解すること
の重要性を実感しました。

これらの薬を完全に抜くのに、1年かかり
ましたが、そのうち半年はデパスのみでした。

1錠を6等分して、更に2分の1だけ噛む
そんな、ラムネを粉にしてなめるような感覚で
減らしていきました。

デパス依存で苦しんだ時
「薬を飲んで休めば治る」
とかそんなクソ医者の言葉を
聞いてしまったんだろう
とめちゃめちゃ後悔しました。

俺は騙されたんだと思いつつ
騙された俺も悪いと
キレたこともあります。

毎日毎日届くアマゾンの本を
読みながら、脳科学や心理療法の
本を読みました。

今考えると安いクソ本ばかり
買っていたと思いますが
それでも、学生時代よりは
だいぶマシでした。

大学2年と4年のときは
本をよむのもマジできつかったのです。

毎日読める時点で大幅改善です。

薬で治る精神的な病はないと
知ってからはとにかく断薬に
必死でした。

寝ていれば治るという嘘

クソ医者が「寝ていれば治る」
と言っていたが、結局治りませんでした。

今考えると、大学2年当初の僕は
いつ自殺してもおかしくなかったのかもしれません。
それを考えると、診断は仕方なかったのかもしれません。
ただ、3年もの間、違う状態に対応しないのは
異常。

ドクターショッピングや勉強で
視野が広がったことで、多くのことに
気づくことができました。

そんな5年の失敗を振り
返りつつ、デパスを少しづつ減らしました。


1年目のため、夜勤のときもありました。
フラフラのときも、1/8でも減らせるよう
に少しづつ減らしました。

舐めて吐いて捨てたこともあります。

少しでも飲むと30分後には
ものすごく落ち着きました。

飲まないと、落ち着かないとき
が何度もありましたが
その時は、16分の1でも
粉にして、指につけて舐めました。

そんな勢いでどんどん減らしていきました。

ドグマチールもSSRIも漢方もなくなってから
3ヶ月後、ついにデパスを克服しました。
他と比べると圧倒的に大幅に時間がかかりました。

 

「もう大丈夫じゃないですか?」


デパスが抜けてから6か月後は
医者に通い
「もう大丈夫じゃないですか?」
と言われたときは、薬に頼らない生活
を普通に送ることが出来るように
なりました。

ついに
薬から解放されたのです。
非常に長い年月でした。

そこから半年は経過で通い
完治となりました。


薬を断薬するとき
の注意点

1. 飲んだ人の話
を聞くこと

薬は飲んでみないとわからないところ
がたくさんあります。
デパスについても、つい最近になって
依存性を認めました。それ位遅いのです。

2.セカンドオピニオン
を検討する

医者を選ぶのはあなたです。
セカンドオピニオンをするのも
あなたの自由なのです

 

3.少ないに越したこと
はないが・・・

なぜ薬が処方されるのでしょうか?
鬱の人は悪い方向に考えがちです。
科学的に冷静に考えてみて
「どうしてこの薬を飲むんですか?」
と医者に聞いてみましょう。

 

4.長期服用には
気を付けよう

なぜ病院に定期的にいくのでしょうか?
あなたの症状を医者が確認するためです。

しかし、医者がろくに確認しないで
薬を渡したらどうでしょう?
不思議ですよね。
そう思ったらすぐに別の病院に聞いてみるの
も手です。

11話:あれから8年たった今。
振り返って


そして、私が鬱や適応障害になって
8年たとうとしています。

その間に、バカ上司のパワハラで
適応障害にもなりました。この8年で
日本の精神医療は、そこそこ進展しました。

ただ、会社レベルではひどいままで
「お前の認識が変われば、うつは治る」
とか長時間残業をしている人間に平気で言う
保健師とか見ました。

肩書きで医者を決めている状態
では甘い。

まぁ、僕が受けたクソ医者は、大学の教授でしたし
あんなレベルなので、僕は肩書なんて信用しません。

環境が残念なのは、自分でもわかっているので
自分を追い込まない術を習得済みで
薬についてもしっかり勉強したため
薬の力を頼りに、5日間飲み、
2ヶ月間位職場を変えましたが

そのおかげで休職することなく
活躍することできました。
まぁ、上司の上司にも助けられましたが
あんな部下持っている上司って一体って
感じです。

その間に変化がありました。
私が適応障害と診断された時には
なんと、あのデパスはありませんでした。

というのも、この時、デパスの
依存性が認められていたのです。

改めて、デパスは恐ろしい薬だと実感しました。

何が恐ろしいか?依存性がすごいだけでなく
国や精神科医が「安全だ」とか全く信用できないこと
を何十年も平気で言っていたからです。

つい最近まで依存性について
認めていなかったのです。
海外では全然使われていない薬なのにです。

そう考えると、日本の精神科医療は
絶対にはまってはいけない。そう強く思いました。

地域や地方、医者で大幅な差が出る精神科
医療は標準が決まっていないという点では
ほぼ基準がない診療といっても過言ではありません。

しかも、日本の医療は、予防前提で考えられていません。
歯医者に行けば、歯磨きの仕方をろくに教えずに
歯を削るだけです。私も、新人のクソ歯医者のせいで
1つの歯を半分失いました。

虫歯と鬱の対応は同じなんだと思いました。
予防をするという概念がなく
一旦だめになったらずっと薬づけって考えです。


僕も5年間薬漬けでした。
で、医者は薬をよこすだけです。
カウンセラーは頷くだけでした。


別の医者に行ったら
「もっと薬をやらないとダメだ」
と平気で言います。


また、別の医者に行ったら
「カフェインを取りすぎ」
「太りすぎ」
と言ったりしました。

私は軽肥満ですが、肥満体では
ありません。

医者ごとに基準が違いすぎて
何が何だかさっぱりわかりませんでした。

本当に辛かったです。

つい最近知ったのですが
日本では、診断の基準が決まってなく
アメリカ基準になっているそうです。

意味不明です。
どうして、同じ日本の医者なのに
診断基準が統一されていないのか?

どうして患者本位で
診断基準を決めないのか。

なので、絶対断薬をしてやると思い
デパスを1回2錠飲んでいたのを1錠に減らし
2/3とどんどん少なくしていき

思った以上に減っていかない悔しさを
かみしめていたのを昨日のように覚えています。

12話:そして
再発防止するために

うつ病の再発率は80%と効いていたので
調子が良いうちに勉強し始めること
にしました。

地方都市で本を読んでいるだけでは
だめだと思った僕は、カウンセラーの
勉強をしようと思うようになります。

地方在住というのは、デメリットが
多いですが、うつ病の症状次第です。

というのも、うつ病は、「孤独と感じない」
ことが重要で、僕は特にそれを感じやすかった
からです。都会に行ったところで
孤独がひどくなり、症状が悪化していった
かもしれません。

田舎でも孤独と感じているくらいなら
田舎にいる意味は全くありません。

ただ、勉強の話になると別です。
田舎より都会のほうが全然いいです。
向学心がある人がたくさんいて、最新の
学問や理論がそこらへんにあります。

セミナーもすぐ受けれます。
買い物にも困りません。
田舎で特殊なものを買うとなると
アマゾン一択になってしまいます。

なので、鬱で孤独に苦しんでいない人
は、都会で勉強すべきと思っています。
昔は、田舎でのんびり勉強しよう

と思っていましたが、農学部等の自然と
向き合う人以外はあんまり意味が無いと
思っています。

話を戻して・・・・

その後、カウンセラーとの出会いで
今まで点と点で存在していた知識が
線になって、つながりはじめたのです。

その後のカウンセラーと出会って
心理療法や脳科学を学んだ話はこちらから

うつ病とは何か?
対策は?家族はどうしたらよいか?
知りたい人はこちらから

もっと詳細な内容を知りたい方はこちらから

 

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